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Friday, August 26, 2022

必死で築いてきた「普通」の生活が、崩れていく――。『夜がうたた寝してる間に』大ボリューム試し読み#3 - カドブン

『君の顔では泣けない』著者・君嶋彼方さん待望の新刊! 小説野性時代新人賞受賞第一作『夜がうたた寝してる間に』

新人ばなれしたデビュー作として話題となった『君の顔では泣けない』の著者・君嶋彼方さんの待望の第2作となる長篇小説『夜がうたた寝してる間に』が8/26に発売となります。
生まれつきある「力」を持ったことで、周囲との違いや関係性に悩みを抱える高校生の葛藤と成長を描いた作品です。
本作の冒頭50ページを特別公開。書き出しの一文から息を呑むほど美しい、珠玉の物語をお楽しみください。



▼君嶋彼方特設サイトはこちら
https://kadobun.jp/special/kimijima-kanata/

『夜がうたた寝してる間に』試し読み#3

「そんじゃ、おやすみー」
「おう、おやすみー」
 互いに言い合って、通話アプリを閉じる。最近は毎晩のように、毛利と榎本と、通話アプリをつなげながらオンラインゲームに興じている。たまに盛り上がりすぎて、誰かの親の叱る声が聞こえてきたりするのも、それはそれで楽しい。大抵は榎本の「眠くなってきた」の一言が終了の合図になる。
 ベッドに寝そべったままゲームをしていたせいか、腰が痛い。ゲーム本体の電源を切り、ごろりと寝返りを打ち枕に顔を沈めて、ベッドサイドの時計を見る。零時二十分。
 試しに目をつぶってみても、全く眠気は降りてこない。それでも刻一刻と時間は進んでいって、俺を置いて勝手に朝になろうとしている。枕を引き寄せ、胸元でぎゅっと潰した。
 夜は嫌いだ。その先には朝が待っているからだ。朝の方が、もっと嫌いだ。
 日々は楽しい。俺はうまいことやれている、という自負もある。能力なんてあしかせがあっても、学校に溶け込み友人たちと笑い、喫茶店でのバイトだってきちんとこなしている。今はいないが去年は彼女だっていた。友人たちには隠しているが、童貞はとっくに捨てている。順調に人生をこなしていっている。
 でも一日が終わるとほっとする。今日も何事もなく終わった、と胸をで下ろす。時々自分の言動を思い返してみたりする。あのとき変なこと言ってなかったかな。あのときああすればよかったな。昼間は気にならないさいなことが、空が暗いというだけでやたらと気にかかる。はんすうしては落ち込みもだえする。そしてまた、一日が始まることにうんざりする。
 また、ベッドサイドの時計を見る。零時二十分。最後の数字は丸のまま変わっていない。
 夜に時間を止めることは、今や日課と化している。特に何をするわけでもない。停止した世界の中で、宿題をしたりゲームをしたり筋トレしたりする。ただそれだけだ。それでも、どんなに時間を浪費しても空は白んではこないという安心感があった。
 初めて朝が来て欲しくないと願ったのは、小学校の高学年に差し掛かる頃だった。学校という場所に行くのが、嫌で嫌で仕方なかったのだ。
 そのときの俺は、今ほど日々を上手に過ごせていなかった。一人だけランドセルの似合わない体軀だった俺は、能力持ちということも相まって、周りから敬遠されていた。当然友人らしい友人もできず、少しでも体を小さく見せようと常に背を丸めていた。
 こんなことがあった。クラスメイトの一人が、当時流行はやっていたカードゲームの、きらきら光るレアカードを学校に持ってきて自慢していた。全く興味のなかった俺は、昼休みに彼に群がる同級生たちを遠巻きに眺めていた。
 そして放課後。彼が騒ぎ出した。カードがない。教室中が騒然となった。小学生にとってのレアカードは、とんでもない貴重品だったのだ。
 ばたばたと捜索が始まる中、俺も形ばかりはそれに参加して、机の下に目を滑らせたりしていた。そんな中、一人の女子が言った。
「ねえ、もしかして冴木くんじゃないよね?」
 その言葉に、騒がしかった教室が一気に静かになる。視線が一斉に俺へと注がれた。
「確かに、冴木ならこっそり盗むの簡単だもんな」
「時間を止めて取っちゃえばいいんだもんね」
「ふざけんなよ、冴木! 俺のカード、返せよ!」
 持ち主までそんなことを言い始める。俺はれたようにふさがった喉で、どうにか自分じゃないと絞り出した。それでも彼らの幼稚な残虐さは治まることなく、手を叩きながら「かーえーせ! かーえーせ!」と大合唱が始まった。
 どうしていいか分からなかった。だって、本当に俺ではないのだから。何も言えず俯いて、瞳の表面を覆う涙をどうにかこぼすまいと、目を見開いて床を睨みつけていた。そのときだった。
「ねえ、ちょっと待って。よくないよ、こういうの」
 そう言って俺を庇ってくれたのが、天だった。天はそのときからクラスの人気者で、人望も厚かった。天は淡々と言う。疑う前に、もうちょっとちゃんと捜してみようよ。みんなで手分けしてみればすぐに見つかるよ。
 結果的に、カードは持ち主のノートに挟まっていた。周りはよかったねと彼の肩を叩き、彼もありがとうと安堵の表情を浮かべている。誰も俺に謝ろうとはしなかった。
 何故か俺の方が居た堪れなくて、帰り支度をして教室を出ようとしたとき、天に呼び止められた。
「旭くん。よかったら、一緒に帰ろ」
 それから、俺と天は仲良くなった。家が近所ということもあり、家族で出かけたりもするようになった。
 学校は嫌いだ。その一件以来、更に強く思うようになった。クラスメイトが自分の敵のように見えて怖かった。学校へ行きたくないという気持ちが、俺に夜を眠らせた。
 それでもどうにかやっていけたのは、天がいてくれたからだろう。クラスメイトや教師の心無い言葉に傷つく度に、天は俺の背中を叩いて慰めてくれた。まるで子供をあやすように、ぽんぽん、と。気恥ずかしくもあったが、手のひらの形でじんわりと暖かくなる背中に俺は安心感を覚えた。
 中学に上がっても周りに馴染めない俺に、天は変わらず接してくれて、そのお陰もあって少ないが友人もできるようになった。
 そして高校に入って、俺は決心した。いつまでも天に頼っているわけにはいかない。俺は俺の力で、この場所でうまくやってみせる。やがて天とは前ほど話さなくなって、俺には俺だけの友達ができるようになった。
 だけど、今でも時間を止めてしまう。どこかでまだ朝を怖がっている自分がいる。
 ベッドから起き上がると、机の傍にある窓へ向かった。カーテンを開けると、ガラスは黒く塗り潰され、鏡のように顔を映し出している。俺の嫌いな顔。同級生たちとは全然違う、成熟してしまった大人の顔。
 窓を開けると、俺の姿が消える。そこには夜がある。時の止まった夜は綺麗だった。うるさいバイクの音や学生の騒ぐ声もなく、静寂に包まれている。車のヘッドライトや家の窓から漏れる明かりは動くことも途絶えることもなく、ただ夜を白く小さく切り取っている。
 風もなく空気の流れもなく、外の冷たさは部屋の中に入ってこようとはしない。腕を突っ込むと、まるで冷水に浸したような感覚がひじから先を包む。窓から顔だけを出すと、暖房で火照った頰に冷気が心地良い。
 時間を止めることは、時折怖かった。このまま、時が止まり続けてしまったらどうしよう。どんなに頑張っても元に戻せなくなってしまったらどうしよう。そういう恐怖だ。全てが動きを止めた世界で、自分ひとりだけが時を過ごしている。そんな考えが時々襲ってきてぞっとした。
 目が覚めて、いつも朝を知らせてくるはずの窓の向こうの光が何故かない。時計を見る。時間は真夜中のまま。何度力をめても、その数字は動かない。スマホの画面の時計も、同じ時刻を示している。両親の寝室に向かうと、ベッドで眠ったまま微動だにしない。揺すっても声をかけても何も反応しない。そこで俺はやっと、止まった時間の中にひとり取り残されたことに気付く。
 そんな悪夢を何度も見た。それも、朝が来るのを怖いと感じる理由のうちの一つだった。
 朝なんて来るな。来るくらいなら、ずっと夜のままでいい。でも夜に生きる勇気もなくて、俺は窓を閉め、カーテンを寄せる。どれほど恐ろしいと思っていても、結局またこうやって、時間を止めてしまうのだろう。
 時計をゆっくりと撫でる。一番右端の数字が、丸から縦の線へとかちりと変化した。


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