お笑いコンビ「チョコレートプラネット」の松尾駿(39)が3日放送のフジテレビ「TOKIOカケル」(水曜後11・00)にゲスト出演。IKKOのものまねでのテレビ出演をするようになった当時の本音をぶっちゃけた。
2006年、NSC(吉本総合芸能学院)の同期としてコンビを結成。翌07年にはテレビ初出演、08年には「キングオブコント」決勝に初進出。長田庄平はテレビ出演は早かったものの、ブレークには至らず、「当時はひな壇とはいっぱい座っている中で、俺らはキャラクターが全くなかったので、インテリとかヤンキーとか、俺らって分かりやすいキャラクターが何にもない。ネタしかない…ネタ番組とかなら評価してもらえるけど、ひな壇とか、ロケとかした時に、何もできない。結局、下がっていく…っていう」と苦悩を抱えていたことを明かした。
そんな中、転機となったのは松尾の美容家でタレントのIKKOのものまね。松尾は「ものまね番組に出させてもらうってなって、“何かある?”って聞かれて、“IKKOさん出来るかもしれないです”って言って、それでやって、評判が良くて。そこから、別の番組に呼んでもらって、それはひな壇だったんですけど、『ウチのガヤ(がすみません!)』っていう番組で、それで初めて、ひな壇でものまねで出た」と振り返りつつ、「その時は、ものまねをやるなんて、ヨゴレだと思っていて」と複雑な心境を吐露。長田も「俺らはコントをやっていて、ものまね芸人さんだったらいいんですよ。ものまね芸人でもない、普通のコント師がちょっと寄せ寄せでいってるんじゃない?みたいな。媚びちゃっているんじゃないかって(思っていた)」と続けた。
正直、ものまねでのテレビ出演は「嫌だな」と思っていたという松尾。「嫌だなと思っていたけど、何もないので、呼ばれたらやるしかない。自分でカツラ買って、かぶって、後輩とかに“松尾さん、何ですか、その格好”って言われて、“クソ―!”って思いながら、(フットボールアワー)後藤(輝基)さんにすぐ振ってもらえて。“IKKOさん、どや!”って聞かれて“どんだけ~!”って言ったら、ドカンとウケたんです。ウワッ、今まで感じたことない…。そこからどんどん振ってもらって、まだまだ出ると思って、後藤さんが振ってくれるんですけど、2回目の収録ぐらいで、何もすっからかんになっちゃって。それで“どう?”“何?”“どやねん!”“何?”って(答えられず)それもまたハマったんです」と回顧。そこからMCの先輩たちからさまざまなアドバイスをももられるようになり、「それでだいぶ仕事が増えました」とした。
長田も「バーッてブレークして、仕事は増えていった時に“全然いいや!”って思って。“何でもやらさせてもらいます!”って」と、売れたことでこだわりはなくなったという。
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