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Tuesday, July 7, 2020

「普通の女の子に戻ります」の「普通」って何? 『ないものねだりの君に光の花束を』試し読み⑤ - カドブン

6月18日(木)に発売された『ないものねだりの君に光の花束を』の刊行を記念して、6回に分けて試し読みをお届けします!
〈特別〉な彼の隣で自分の平凡さを思い知らされながら過ごさなければいけないことに憂鬱な気持ちが膨れ上がってきた影子が目にしたのは、女性アイドルが引退する際に放った「私は普通の女の子に戻ります」という言葉だった――。

 ◆ ◆ ◆

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二章 甘い声

 閉じたまぶたく光のまぶしさに、私はまゆをひそめて顔を背けた。
 何度か細かなまばたきをして明るさに目を慣らし、ゆっくりと窓を見る。
 細く開いたカーテンの隙間から真っ白な光が射し込んでいた。ゆうべは一時過ぎまで本を読んでいて電池が切れたようにベッドに入ったので、きちんと閉めきれていなかったらしい。
 気だるい身体を起こし、手を伸ばしてカーテンを開ける。朝日を全身に浴びると、じわりと眠りの余韻が離れていった。
 小さく息をついてから軽く伸びをして、ベッドを下りた。
「影ちゃん、おはよう」
 階段を降りたところで、足音に気づいたのかお母さんの声が台所から聞こえてきた。洗いものの最中らしく、姿は見せない。横を通りがけにリビングのドアに向かって「おはよ」と返す。
 洗面所で顔を洗っていると、お父さんが「おはよう」と入ってきた。私はタオルで顔をきながら「おはよ」と答える。
「今日は早いな」
「うん、なんか目覚ましが鳴る前に目が覚めちゃって」
「そうか。夢見がよかったのかな」
「うーん、覚えてないけど、そうかも」
 顔を拭き終えた私が少し横にずれると、お父さんが隣に来て鏡を見ながらネクタイを結び始める。私は洗面所を出てダイニングに入った。
 カウンターには私とお父さんの分の弁当箱と朝食が並んでいる。トーストとハムエッグがのったプレートをテーブルに移しながらお弁当をちらりとのぞいて、私は思わず声を上げた。
「あ、今日、三色弁当だ!」
 とりそぼろの茶色とり卵の黄色、そしていんげんの緑のコントラストが寝起きの目に鮮やかだ。
「影ちゃんは本当にこれが好きねえ」
 お母さんがくすりと笑って言った。私は「うん」とうなずく。三色そぼろのお弁当、通称『三色弁当』は、私のいちばん好きなメニューだった。
「味も好きだけど、見た目もれいで好きなんだよね。昼休みにお弁当箱開けた瞬間、わっとテンションが上がるっていうか」
「お母さんも三色弁当好きよ」
「え、そうなの? 知らなかった」
「そぼろは楽だからねー。おかずたくさん作らなくてもそれなりに見えるし」
 にやりと笑ったお母さんの言葉に「そっち?」と噴き出しつつ、私はテレビの電源を入れた。
 いつもの朝の情報番組。このあとの時間帯はちょうど芸能ニュースをやっている。政治や経済の難しいニュースだと見ていてもつまらないので、朝は必ずこのチャンネルにするようにしていた。たまに鈴木真昼が出てきて複雑な気持ちになることもあるけれど。
 ブルーベリージャムを塗ったトーストをかじりながらぼんやりとテレビを見ていると、人気絶頂の女性アイドルグループの主要メンバーが芸能界を引退、というニュースが流れてきた。
 昨日の夜に速報が入ってツイッターのトレンドになっていたけれど、本当だったのか、と改めて思う。特にファンというわけではなかったけれど、小学生のころからずっとテレビで見ていたアイドルが突然引退するというのは、なかなか衝撃的だった。きっと今日の学校はこの話題で持ち切りになるだろう。
 事務所を通して公表されたという彼女のコメントが、画面に大きく映し出された。
『私、○○は九月三十日をもって……』から始まり、『これまで支えてくれたファンの皆様、ありがとうございました』で終わるA4のコピー用紙一枚分の文章。
 その中の一文に、私の目はくぎづけになる。
『私は普通の女の子に戻ります』
 何それ、と口に出してしまいそうになって、ぐっと飲み込んだ。《普通》。私の心をき乱す呪いのような言葉。
『もう何年も前から、普通の女の子に戻りたいという思いを抱えていて、ずっと悩んでいたのですが、やっと決断できました。──』
 普通って、どういうこと? 私は自問自答しながらぐるりと視線を巡らせた。
 窓に映る親子三人の姿──ソファで新聞を読んでいる父親、洗いものをしながら鼻歌を歌っている母親、間の抜けた顔で朝食をとる高校生の娘。
 これが《普通》だ。絵に描いたような普通の家庭で育った、ごくごく普通の女の子、それが私だ。トップアイドルがあこがれている《普通の女の子》。
 彼女は本当にこんなものになりたいのか? 本当にこんなふうになるのか?
 きっと違う。アイドルになれるほど可愛くて、センターをとれるほど才能があって努力もできる彼女は、きっと芸能人をやめたって《普通》の人間ではない。私がへきえきしているような《普通》には、彼女は決してならないのだ。
 私はずっと、全てにおいて個性がないことがコンプレックスだった。容姿も頭も性格もどこにも特筆すべき点はなく、サラリーマンの父とパート勤務の母の間に育ったひとり娘という家庭環境も、何もかも全部 《普通》。もしも私が小説の登場人物だとしたら、私の紹介文は確実に『普通の女の子』という一行だけだ。
 それでも小さいころは、いつかお姫様みたいに綺麗になったり、ある日突然魔法が使えるようになって世界を救ったりするのを無邪気に夢見ていたけれど、今はもう、そんな浅はかな夢なんて見られない。私は一生 《普通》で終わるのだと自覚していた。
 そのくせ、心のどこかでは性懲りもなく《特別》への憧れを手放しきれずにいて、その裏返しで、鈴木真昼のような特別な存在に対して卑屈な思いを抱いている。本当に私は馬鹿だ。
 テレビの中では、引退するアイドルの経歴や代表曲の映像が流れている。可愛くて、自信に満ちあふれていて、きらきら輝いている。そのへんの女の子とは全く違う姿。
《普通》ほどつまらないものはないのに、どうして《特別》な彼女が《普通》に憧れたりするんだろう。全くに落ちなかった。私が捨てたくてたまらないものを、彼女みたいな人が欲しがるなんて、どうしても理解できない。
 私は別に家族に対して不満を抱いているわけではない。
 お父さんは物静かで、あまりべらべらと雑談をしたりするタイプではないけれど、私が学校のことで愚痴を言ったり相談をしたりすると、じっと耳を傾けてくれて控えめなアドバイスをくれる。
 お母さんはおしゃべりが好きで、小言がちょっとしつこい。だから私が反抗期真っただなかだった中学生のころはよく口論もしたけれど、最近は落ち着いてきて、たまに学校帰りに待ち合わせて甘いものを食べたりもしている。
 休日は三人で買い物に行ったり映画を観に行ったり、長期休暇には小旅行に行ったりする。それなりに仲のいい、ありふれた家族。
 不満は特にない。ないのに、なぜだか時々無性に、この家の子であることが、染矢影子という人間であることが、とてつもなく嫌になる。自分という存在と、自分を取り巻く世界から、逃げ出したくてたまらなくなる。全て捨てて生まれ変われたらどんなにいいだろう、と何度も考えた。
 不謹慎で無神経な考えだと自覚はしているけれど、たとえば私が天涯孤独だったり、家がものすごく荒れていたり、そういう特殊な環境で育っていたら、もう少し他人と違う特別な人間になれたんじゃないか、と思ってしまう。そうしたら、私を夢中にさせてきた物語を紡いだ人たちのように《特別》な人間になれたかもしれないのに。そう思わずにはいられない。
 普通の家庭に生まれて、何不自由なく育てられて、毎日学校に通える恵まれた境遇のくせに、こんな後ろ暗いことを考えてしまう私は、最低だ。

 学校に近づくにつれて、今日から毎日 《特別》な彼の隣で、自分の平凡さを思い知らされながら過ごさなければいけないことを思って、ゆううつな気持ちが膨れ上がってきた。
 廊下には鈴木真昼を覗き見に来る生徒たちがたむろして、私を透明人間のように無視して彼に熱い視線を注ぐのだろう。その光景を想像するだけでめ息が唇からこぼれた。
 でも、教室に入ってみると、隣の席は空っぽだった。
「真昼は今日は午後から登校するそうだ」
 担任が出欠をとりながら言った。
 何だか拍子抜けする。でも、とりあえずお昼までは平穏に過ごせそうだ。
 そう思ってほっとしていたのに、三時間目の授業が残り十五分になったとき、私の真後ろのドアがそろそろと開いた。その音に思わず振り向く。
「おはようございます。遅れてすみません」
 先生と生徒たちに向かって丁寧に頭を下げながら入ってきたのは、鈴木真昼だった。
 ただの制服姿なのに、今日もやっぱり圧倒的な輝きを放っている。
「あれ、昼からじゃなかったん?」
 山崎くんが声をかけると、彼は小さく微笑んで、ささやき声で答えた。
「予定より早く終わったから……」
 彼は今連続ドラマの撮影をしているらしいので、その仕事が早く終わったということだろう。
 こういうふうに遅刻してくるとき、彼は『撮影が~』だとか『収録が~』だとか、仕事関係のことを匂わすような言葉は絶対に言わない。私たちとの違いをあからさまに感じさせることはしない。
 紛れもなく《特別》なのに、それを全く鼻にかけない謙虚さ。そういうところも生まれながらの《特別》だなと思う。特別であること、人と違っていることが彼にとっての普通、当たり前のことなのだ。だから決して得意顔などしないのだ。
 この謙虚さがみんなから『性格までかんぺき』と言われる所以ゆえんで、彼の好感度を上げているのだと頭では分かっているのに、そんなところさえ気に障ってしまう私は全くひねくれている。
 彼が席につくと同時に、先生が「鈴木真昼くん」と呼びかけた。
 彼はさっと顔を上げて「はい」と答える。柔らかいのによく通る、綺麗な声で。
「申し訳ないけど、ちょうど今から確認テストなの。今日やった内容の復習だから、遅れてきた鈴木くんにはちょっとしんどいと思うけど、ごめんね」
「いえ、大丈夫です。僕が自分の都合で遅刻しただけなので。お気遣いありがとうございます」
 先生は『さすが』と言わんばかりの表情で感心したように頷き、「できる範囲でいいからね」と言ってからプリントの配布を始めた。
 英単語の問題がずらりと並んだテスト用紙に、みんなが一斉に解答を書き込んでいく。シャープペンシルのしんが紙の上を走るさりさりという音が教室を埋め尽くす。
 書き終えてペンを置くと、なんとなく注意が隣に向いた。視界の端でとらえた鈴木真昼の右手は、つまずくこともなく流れるように動き続けていた。
「はい、それでは時間になりましたので、隣の人と交換してください」
 先生の言葉に、そうだ、交換しなきゃいけないんだ、と衝撃を受ける。
 いくつかの授業では、小テストは生徒同士で相互採点をする方式だった。つまり、私は彼に丸つけしてもらうことになるのだ。考えただけで気が引けた。隣の席になるとこんな弊害もあるのか、と今さらながらにぼうぜんとする。
「染矢さん」
 思わず動きを止めていたら、隣から呼ばれた。はっとして目を向けると、穏やかな笑みに迎えられる。
「お願いします」
 鈴木真昼は微笑んだままプリントを差し出してきた。
「あ、うん、ごめん……お願いします」
 私は小さく答えつつ、少し身を乗り出して彼のテストを受け取り、代わりに自分のものを渡す。
 その一瞬、彼の細く長い指と、綺麗に整えられた爪に目を奪われた。CMに出てきそうな滑らかで美しい手だった。《特別》な人は、爪の色や形まで完璧なのか、と内心驚嘆する。
「正解を板書するので、赤ペンで丸バツをつけてください」
 先生の声に、再び我に返る。彼が隣にいると、予想していたことだけれど、全く授業に集中できない。どうしても気になってしまって、そちらに意識が向いてしまうのだ。もともと集中力のない私がいけないのだけれど。
 何とか気分を入れ替えて、筆箱から赤のボールペンを取り出した。
 ふたをとりながらテスト用紙に目を落とすと同時に、字が綺麗、と思った。まるでペン習字のお手本のような、きっちりと丁寧に整った筆跡。鈴木真昼はやっぱり、どこをとっても完璧だ。
 そして、テストの方も完璧だった。単語どころかスペル間違いひとつなく満点。
「はい、染矢さん」
 呼ばれて目を向けると、彼はテスト用紙をこちらへ差し出しながら、さっきよりも大きな笑みを浮かべていた。
「満点。さすがだね」
「え、あ、ありがとう」
 受け取った紙に目を落とすと、花丸つきの点数の横に、『おめでとう!』と書かれていた。
 ただのクラスメイトへの気遣いまで完璧。
「鈴木くんこそ、授業受けてないのに満点なんてすごいね」
 さすがとまで言ってもらって自分は無言で返すわけにもいかず、正直な感想を添えてテスト用紙を渡すと、彼は少し困ったように眉を下げて微笑んだ。
「いや、たまたまだよ。ちょうど重点的に予習してたところが出たから、運がよかったんだ」
「予習してるんだ」
「うん、まあ、欠席しちゃうこともあるから、せめて遅れないようにしなきゃと思って」
「偉いね……」
 復習だけでなく予習もきちんとやるように、と先生たちから言われてはいるけれど、課題と復習だけで手いっぱいで、自主的な予習なんて私は全くできていなかった。
「そんなことないよ。なんとかついていけるように必死こいてるだけだから」
 彼は手を振って否定したけれど、仕事をしながらみんな以上に勉強をしているのだから、すごいとしか言いようがない。
 かなわないなあ、と思ってから、そんなことを思った自分を恥じた。
 生まれながらに格が違いすぎて勝負にすらなっていないのに、勝ち負けを考えるなんて。
 自分の図々しさにあきれながら、私は本日何度目かの溜め息をひっそりとらした。

(つづく)



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