今年1月、作家の川越宗一さんが2作目の長編小説『熱源』で第162回直木賞を受賞した。デビューからわずか1年半での直木賞受賞は極めて珍しい「快挙」だ。
川越さんは大阪府出身の42歳。現在も会社勤めをする話題の作家が、「文藝春秋」4月号「有働由美子のマイフェアパーソン」に登場し、『熱源』が誕生するまでの日々を振り返った。
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有働 このたびは直木賞受賞、おめでとうございます。
川越 ありがとうございます。
有働 早速ですが、直木賞をとって生活に変化はありましたか?
川越 僕は妻と二人暮らしなんですけど、自宅にお祝いの花がたくさん届いて、植物園みたいになっています(笑)。
有働 胡蝶蘭とか、お祝いの花って大きいから。
川越 僕が酒好きなこともあって、ビールや日本酒もいただきました。お花とお酒に囲まれて、居酒屋の新装開店みたいです。
直木賞作家になると吉野家に行きにくい?有働 あはは、そんな状態ですか(笑)。「俺は直木賞作家だ」みたいな自覚は出てきましたか?
川越 あまりないですね。受賞会見をして、テレビにたくさん自分の顔が出たときは、「吉牛(吉野家)とかマクド(マクドナルド)とか行きづらいな、もっとええとこに行かなあかんかな」と思いました。
有働 周りのお客さんから「あ、直木賞の人が吉牛食べてはる。しかも並や!」って見られたり。
川越 「玉子ぐらい付けえや」とかね(笑)。言われるかなと。でも、そんなことはなくて、いまもふつうに食べてますよ。
有働 受賞作の『熱源』は、樺太(サハリン)生まれのアイヌ、ヤヨマネクフと若くしてサハリンに流刑となったポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキという二人の実在した人物を主人公に、日本とロシアの同化政策に苦しみ、戦争に運命を翻弄されながらも逞しく生きる姿を描いた作品です。北海道、樺太のほか舞台はヨーロッパや東京などにも移り、直木賞選考委員の浅田次郎さんは「近年まれにみる大きなスケールで小説世界を築きあげた」と評されました。
読み始めて、登場人物の名前や地名が頭に入るまでは「ああ、読み終わるまで何日かかるんだろう」と思いましたけど、途中からあっという間に引き込まれました。普段小説を2度読むことはないんですけど、『熱源』は読了後また頭から読み返しています。
川越 ありがとうございます。
「グータラな夫じゃないですか(笑)」有働 この壮大なストーリーを着想したのは、奥さまと北海道旅行したのがきっかけだったとか。
川越 はい、5年ほど前です。実は新婚旅行も北海道だったんですけど、とても楽しかったので「また行きたいね」とずっと話してたんです。そしたらお互いに4泊ぐらいできる時間ができて。とくに行き先は決めずに、妻の運転であちこち見てまわりました。
有働 川越さんは一切運転せず?
川越 はい、免許を持ってないので。助手席でずっとビールを飲みながら「次はあっち行こう」「こっち行こう」と言ってるだけでした。
有働 グータラな夫じゃないですか(笑)。
川越 まったくその通りです。それで、最終日に新千歳空港へ戻る途中、白老(しらおい)町にあるアイヌ民族博物館(現在は国立化にともなう工事のため閉館中)に寄ったんです。フライトまでまだ時間があるから「ちょっと行ってみようぜ」ぐらいのノリで。
博物館ではアイヌの村が再現してありました。楽しいなぁとウロウロしていたら、胸像がぽつんと展示してあったんです。ブロニスワフ・ピウスツキというポーランド人で「アイヌと極東先住民研究の開拓者。白老に滞在して研究に勤しんだ」といった内容の解説文が数行ありました。でも、ポーランドって、北海道からえらい遠いですよね。「なんで来たんやろうな」と興味をもって調べてみたんです。
なんでもすぐ調べたくなる有働 数行の解説を読んだだけでそう思ったんですか?
川越 はい。僕にはもともと、なんでもすぐ調べたくなる“癖”がありまして。食事中に醤油を使ったらふと、そもそも醤油って賞味期限どれくらい持つのか調べだしたり、トイレットペーパーを切らしたら「そういえば、人類はいつから紙を使ってるんやろ」とスマホで検索してみたりするんです。
有働 すごい癖ですね。それでピウスツキについても調べ始めた。
川越 はい。調べていくとびっくりするほど壮大な人生でした。彼の弟は、ポーランド独立の英雄なんです。古い友人にレーニンの兄がいたり、南極探検に参加したアイヌ人と知り合いだったり、東京で大隈重信と会って、二葉亭四迷と友達になったり。誰かこの人を漫画や映画にしてくれないかと思ったぐらいです。
有働 自分で書いてみたいとは思わなかったんですね。
川越 その頃はまだデビュー前。そもそも自分で小説を書いたこともなかったですから。「誰かが小説にしてくれたら読んでみたい」という感じでした。ただ、それから数年経って、状況が変わりました。2018年7月に僕の長編第1作『天地に燦たり』が刊行されまして。担当編集者と「次回作はどうする?」という話になったのです。
有働 小説を書き終えたのはいつですか?
川越 19年の7月末です。1年と少し執筆していたわけですが、いま思い返すと、大人になってから一番短い1年間でした。『熱源』を書いている時は文章を書いてるか、調べものしているか、会社で働いているか、その3つしかやってないんですね。本当ならむちゃくちゃ退屈で、長く感じるはずですけど。それだけ集中してたんだと思います。
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「文藝春秋」4月号(3月10日発売号)および「文藝春秋digital」に掲載中の対談「直木賞『熱源』は“調べ癖”から誕生した」では、奥様からの「深すぎるアドバイス」、A4一枚から始まる創作方法、大好きだったプラモデル雑誌や、次回作の「鄭成功の物語」などについて、たっぷりお話いただきました。ぜひ合わせてお読みください。
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April 08, 2020 at 12:00PM
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「なんでもすぐ調べたくなる」“普通の会社員”だった川越宗一さんが41歳で直木賞作家になるまで - ニコニコニュース
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