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Thursday, July 6, 2023

閉館相次ぐ名古屋のミニシアター 映画文化をどう守る - nhk.or.jp

名古屋・今池の雑居ビルにある、小さな映画館。
「名古屋シネマテーク」が40年の歴史に幕を下ろすことになった。
全国のミニシアターの“草分け”として映画ファンから愛されてきたが、厳しい経営が続いてきた。
「ここまでやってきたことが限界」だったのだという。

各地で相次ぐミニシアターの閉館。
映画文化を守るため、監督たちも動き始めている。

街の小さな映画館が果たす役割とは。

ビルの片隅の“特別な場所”

名古屋・今池の繁華街に建つ雑居ビル。
階段で2階の廊下に上がると、たくさんの映画ポスターが貼られている。

その先にある小さな扉。
「名古屋シネマテーク」はここで40年、営業を続けてきた。

館内に1つのスクリーンは、席数40席。
小さな映画館だが、この場所から、たくさんの映画を届けてきた。

「ほかでは見られない映画を上映してくれる」
「普通の映画館とは違う“自分だけの世界”みたいな」
「今池のアートシーンのシンボリックな場所」

多くの映画ファンから“特別な場所”として愛されてきたが、7月28日での閉館が発表された。

“自分たちが見たい映画を上映する”

この映画館を立ち上げた、代表の倉本徹さん(78)。

学生時代から映画の魅力にのめり込み、1970年代から仲間とともに貸しホールなどでの自主上映活動を続けてきた。

1982年、自分たちの常設の映画館を持とうと生まれたのが名古屋シネマテークだ。
東京・渋谷の「ユーロスペース」と同年の開館で、ミニシアターの“草分け”だった。

名古屋駅西で若松考二監督が「シネマスコーレ」を創設したのが翌年。
小規模ながらも個性を持った映画館が、個人の情熱によって生まれた時代だった。

シネマテークが大切にしてきたのは、「自分たちが見たい映画」を上映すること。

ヨーロッパのアート映画や、社会問題を扱うドキュメンタリーなど、大手の映画館が扱わない作品、時に上映をためらうような作品も紹介し続けてきた。
倉本さんのことばを借りれば、「落ちこぼれている映画」を見せるのだという。

開館以来の上映プログラムを見返すと、その歩みが見て取れる。

開館以来発行されている「名古屋シネマテーク通信」

名古屋シネマテーク 代表 倉本徹さん
「映画館の始まりとしては“地味”なものですよね。ハンガリー映画があり、ドイツ映画もあり、当時はイタリア映画も世間的には捨てられていました。こういうものが普通の映画館ではかけられていなかったんだなということが如実にわかりますよね。名古屋で見られないから『自分たちでやりたい』という気持ちが強かったと思います」

1984年に勅使河原宏監督のドキュメンタリー『アントニー・ガウディー』が多くの来場者を集め、以後は積極的な企画上映を展開。
同年の「ドイツ映画大回顧展」では、サイレントからトーキーまでの150作品超を紹介。
1998年に上映したインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』や、地元テレビ局制作のドキュメンタリー『人生フルーツ』(2017年上映)など、この場所だから出会える作品に多くの人が足を運んだ。

名古屋シネマテーク 倉本徹さん
「メジャーから作品を供給されている映画館では配給先の意向に従う必要があって、冒険がしにくいんですね。要するに、メジャーの衰退です。その衰退につけ込んでミニシアターが生き残ってきたんです。だからこそさまざまな上映が成り立ってきた。“隙間産業”っていう位置づけだとも考えてます。でも5年もするとそういう映画もメジャーが持って行ってしまって、“隙間”がなくなってしまう。また作品を探す。その繰り返しですね」

映写室のドアには 劇場を訪れた監督たちのサインが

“41年やってきたことが 限界だった”

名古屋シネマテークの個性的なラインナップにひかれた映画ファンは数多くいる。

「シネマテークで上映されているからこそ、見たい」
そう話すのは、毎週この映画館に通い続けてきた、大橋さん。

古いフランス映画を目当てに足を運んだら、たまたま同じ日の上映で、現代のすぐれた作品に出会えた。
そんな思いがけない出会いが生まれることも、この場所に通う楽しみだったという。

大橋さりさん
「10人が見て、必ずしも10人ともが『よかった』とは言わない映画。賛否両論ある“問題作”っていうものを果敢に上映されていたと思います。でもそういう作品は、ある人の心には強烈に残って、刻まれます。シネマテークさんに通っていなかったら見る機会もなかった映画がたくさんありますし、社会について考えるきっかけにもなりました」

ある日、スマホに流れてきたニュースで閉館を知った大橋さん。

「頭真っ白になりました、衝撃を受けて」

全国的にミニシアターの経営が苦しいことは認識していたが、「こんなに大切にされている場所がなくなるはずはない」と、どこかで言い聞かせていたところがあったという。

大橋さりさん
「これまでも老舗のミニシアターが数々、閉館を余儀なくされてますよね。『でも』っていうか、シネマテークはファンが多いからどこかで『大丈夫じゃないか』っていう希望みたいな気持ちがあったんです。だからこそ、恐れていたことが現実になって。そうか、あって当たり前ではなかったんだなって」

閉館の理由は、恒常的な赤字。

新型コロナの影響も大きな要因になったのかと尋ねると、代表の倉本さんは否定する。

観客の高齢化や、小規模なスクリーンでの集客力の限界などにより、閉店を考えざるを得ない状況はすでに長く続いていたという。

名古屋シネマテーク 倉本徹さん
「コロナが始まる前にもう潰れとったの、はっきりいって。2020年の3月の段階で一回やめようとしてたんです。そうしたらコロナ禍に入り、公的な支援金も含めてたくさんのカンパが寄せられた。そのカンパが、その後の3年間でなくなりました。年間おそらく700~800万の赤字が出るんです。これはだめだと。これ以上やっても回復する兆しがないという判断です。41年やってきたことが限界だった」

“やめた理由を 知らしめないといけない”

名古屋シネマテークが果たした役割は、映画の上映だけではなかった。

ここは、劇場に隣接して設けられた「映画図書館」。
蔵書の数は、書籍・雑誌あわせて1万冊。

多い年では年間に50万円ほどを充て、映画に関する書籍を地道に収集してきた。
ひとたび足を踏み入れれば、その密度に圧倒される空間だ。

この映画館を、映画文化に直接触れられる場所にしたかったという。

名古屋シネマテーク 倉本徹さん
「もしかしたら映画を研究する人が名古屋・愛知から出てくるんじゃないかという期待からね。名古屋には映画の本を置く図書館も少ないもんですから、そういう人が自由に見られるような場にするために作った場所です」

地域に映画を届け、街なかで映画文化を育んだ名古屋シネマテークの閉館。
残された期間を惜しむように多くのファンが足を運んでいる。

「たくさんのことを教えてもらったというか、ほとんど学校のような場所でした」
「特徴のある個性が、街からなくなっていくような気がします」

代表の倉本さんには、閉館を決めた今、伝えたいことがあるという。

名古屋シネマテーク 代表 倉本徹さん
「やめた理由を知らしめないといけない。やめるかぎり、何らかのアクションになるようにしないといけない。みんなに“声を上げろ”ということです。自分のところが苦しいんだと。それをはっきりさせたいんです。絶対に全国のミニシアターは苦しいと思うんです」

ミニシアターの閉館 失われるものは?

名古屋ではことし3月にも「名演小劇場」が休館したばかりだ。
全国を見ても、去年は東京の「岩波ホール」や大阪の「テアトル梅田」など、歴史あるミニシアターが相次いで閉館している。

ミニシアターなどの全国団体は、この現状を深刻に受け止めている。

「コミュニティシネマセンター」 岩崎ゆう子 事務局長
「130館を超えるミニシアターが、大都市のみならず中小都市にも存在し、運営されている日本の状況は、諸外国から見ると『miracle(奇跡)』なのである。しかし、奇跡は永遠に続くものではない。映画館のない市町村、映画館空白地域が広がり続けている。関係者の献身と犠牲によって成立してきた小規模な映画館の運営は限界に近づいていると言わざるを得ない」

「コミュニティシネマセンター」 岩崎ゆう子 事務局長

ミニシアターの閉館によって危惧されるのが、映画の多様性が失われることだ。

コミュニティシネマセンターが刊行する『映画上映活動年鑑2022』によると、国内にある映画館のスクリーン数は、去年は3672。
このうちミニシアターは241スクリーンで、全体の6.5%にすぎない。

一方、去年1年間に劇場で公開された作品数・1173本のうち、52%にあたる617本はミニシアターでしか上映されていない映画だ。
つまり、わずか6%ほどのミニシアターが、公開作品全体の半数を紹介しているという実情がある。

コロナ禍でミニシアターの支援にも取り組んできた深田晃司監督も、その価値を強調する。

深田晃司監督

深田晃司監督
「大手シネコンと異なり、ミニシアターは、必ずしも興行収入に結びつくとも限らないような多様なインディペンデントの作品を上映しています。例えば世界各国の作品、中東や東南アジアなどの映画はシネコンではほとんど上映されません。ミニシアターがなくなるとそうした映画が見られなくなってしまうおそれがあります。また、ミニシアターは若手の作品が上映され、お客さんに見てもらい、その反応を受けて作家として育っていく場でもあります。そうした場所が失われることは、作り手にとっても大きな打撃です」

ミニシアターのような場が存続し続けることは、社会の多様性を保つ上でも重要なことだという。

「『たかが映画じゃないか』と思われるかも知れませんが、多様な文化を創ることができること、多様な文化に触れられる環境が準備されていることは、社会の多様性にとって重要なことです。経済的な格差があっても医療を受けることができ、水が飲めるように、文化芸術に当たり前のように触れられることは、必ずしも不要不急の余暇ではなく、私たちの生まれついての権利だと思っています」

映画文化を守るために 監督たちも…

「日本版CNC設立を求める会」会見 2022年6月14日

こうした中、有志の映画監督たちが動き始めている。

去年6月、是枝裕和監督や諏訪敦彦監督、深田晃司監督らは、新団体「日本版CNC設立を求める会」(現在8人の監督らで組織)を立ち上げた。
国内において、ミニシアターへの支援も含め、映画業界全体の振興を目的とした支援組織の設立が必要だと訴えている。

参考にするのは海外の支援策だ。

「日本版CNC設立を求める会」会見資料より

フランスでは、映画のチケット収益やテレビの放送収入の一部などを集め、映像業界の中でお金を再分配する「国立映画映像センター(略称:CNC)」という公的な支援組織がある。
分配金は「労働」「製作」「流通」「教育」を支援する助成金となり、日本におけるミニシアターのような小さな映画館への支援も含まれている。

同様の組織は欧州や韓国にも設置されていて、同会は、こうした組織を日本でも設立することを目指し、現在、業界団体などへの働きかけを進めているところだ。

Photo by 藤記美帆

深田晃司監督
「いわば“共助”、共に支え合う仕組みが日本では本当に不足しています。ただ、『各国でできるなら日本でもすぐにできないのか』というと、まだまだ簡単ではないとも思っています。そういった仕組みの必要性について、私たち映画業界の中できちんと話し合い、認識していかなければいけません。そのうえで、業界と行政が一体となって話し合いを進めていかなければいけない。本当にその入り口の段階にあると思います」

多様な映画文化を、街なかの小さな場所から支えるミニシアター。
“特別な場所”を守るためにも、議論が求められている。

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