若きジョブズは尊敬するSonyの盛田昭夫に会いに来た。盛田がウォークマンで人類の音楽生活を変えたのを参考に、Macを限りなく小型化して電話と融合すれば、音楽のみならず人類の生活すべてを変えられると考えたからだ。盛田はそんなジョブズが気に入り、夜は河豚料理へ招待したのだった。
■「俺だって普通の人間だよ!」と叫んだジョブズ
「調理に失敗すると、毒で死にます」
盛田はそう言ってからかったが、ジョブズは笑ってふぐ刺しを頬張った。傍らで河豚をおっかなびっくり食べていたジョブズの腹心エリオットは、この時のふたりの会話をよく覚えている。
盛田とジョブズ、ふたりの年齢は三〇歳以上離れていたが、瓜二つの価値観を持っていた。
ふたりとも、じぶんの欲しいプロダクトを創るという信念を持っていた。じぶんの創るものを愛し、完璧に仕上げなければならない。そのためには会社自体を、じぶんの作品として磨き上げる必要がある───。[1]
ふたりの会話は、ビジネスには何が大切かを教える授業のようだったという。
同行したエリオットはIBM出身で、ジョブズの十歳年上だった。穏やかな彼が側にいるときは、癇癪持ちのジョブズも人が変わったように落ち着いたという。だがキヤノン、Sonyに続いてエプソン社に行った時ばかりは、そうはいかなった。
エプソンの本社は長野にあった。同社が東京によこした高級車へ乗ったジョブズは途中、雪崩で通行止めに会う。しかたなく駅へ連れて行かれるが電車も不通で、結局八時間かけて長野についた頃には、彼の頭は沸騰していた。
ロビーに入ると、ジョブズは挨拶もなおざりに寿司が食いたいと言い出し、出迎えるエプソン社員に寿司ネタを言いつけると、重役室に入っていった。
会議室にはエプソンの製品がズラリと並んでいたが、説明を始めたエプソンの社長に「こんなものはクソの役にも立たない」とジョブズは言い放ち、呆然とする重役たちを背にものの数分で会社を去っていった。
帰りの電車の中。まだ冷や汗の引かない常識人のエリオットを相手に、ジョブズは恋愛相談を始めた。
最近、新しい恋人が出来たけどやっぱりうまくいかない。終生の伴侶がほしいという。エプソンのことは全く気になってないようだった。そしてエリオットの腕を掴んでジョブズは言った[2]。
「俺だって普通の人間だよ。どうしてみんな、それがわからないんだ!」
アメリカに戻った頃には、現場から次々と告発文がAppleの取締役会に届くようになっていた。ジョブズがすべてに口出しして、会社をめちゃくちゃにしていると。
結局、年明けの株主総会では初の四半期赤字を発表せざるを得なくなった。そればかりか開発陣の大混乱で、発表すべき新製品は何も出来上がってないという最悪の事態を迎えていた。
新製品無きプレゼンを、何食わぬ顔でこなしたジョブズだったが、トラウマ級の冷や汗を味わっていた。追放前のジョブズにとって、最後となったこの独演会を「蝦蟆の油売りと大差なかった」と作家のジェフリー・ヤングは評している[3]。
その頃になると、スカリー社長らは、「お願いだから君の得意なことに専念してくれ」と、ジョブズに嘆願するようになっていた。誰もが認める得意なこと。それは最高の人材を集め、最高の新製品を創り、そして最高のプレゼンテーションで製品を世に送り出すことだ。経営管理は君の天分ではない、と。
はじめ反発していたジョブズも、新製品を生み出す「秘密研究所」のアイデアを着想すると、やらせてくれというようになった。
スカリーがほっとしたのも束の間だった。
じぶんの新製品が中心の会社にするために、どうしてもじぶんで会社を経営したくなったジョブズは、中国出張中にスカリーを解任しようと策謀しだす。
しかしジョブズと馬の合ったはずのジャン・ルイー・ガセーに密告され、スカリーに露呈してしまう。ガセーは失敗必至のクーデターに付いて行きたくなかったのだ。若き創業者の起こす数々の騒動に辟易していた取締役会も、スカリーの味方に立った。
ジョブズの裏切りに激怒したスカリーは、部下の誰もいない「秘密研究所」を会社のはずれに新設して、そこに彼を封じ込めた。かわりにガセーがMac部門を率いることになり、ジョブズに代わって、かれは「Macの育ての父」と呼ばれるようになる。
その短い晩年に「後悔している」とジョブズが打ち明けた事がいくつかある。
癌を早期発見したのに手術を拒み、転移が進んだこと。若き日に、長女のリサを認知しなかったこと。そしてスカリーによる幽閉の屈辱に耐え切れず、エリオットたちの制止を払ってAppleをあっさり捨て去ったことだ。
彼はあの時、ただ一年、欧州や日本に旅行し、ついでに現地メディアのインタビューでも受けて過ごしていればよかった。その間にキラー・アプリを得たMacが過去最高の利益をAppleコンピュータにもたらすことになるからである。
ジョブズが去ってから間もなく、MacにはIBM陣営に無いふたつのキラーアプリが誕生した。後にアドビを名乗るアルダス社のDTPソフトと、マイクロソフト社の表計算ソフト、エクセルだ。
そしてガセーの指揮下、後継機のMacプラスが出た。
それはジョブズが頑なに拒んでいた拡張性を備えていた。ようやくMacにメモリを増やしたりハードディスクを付けられるようになると、人びとは喜んでMacを買うようになった。九〇年代初頭にAppleは、売上世界一のパソコン・メーカーという栄誉すら得るのである。
だが戦上手のビル・ゲイツは、ジョブズ無きAppleにある要求をしていた。表計算ソフトをAppleのために開発する代わりに、GUIをマイクロソフトにライセンスすることである。スカリーはこの罠に気づかず、あっさり飲んでしまった。
ゲイツはこのライセンスを元にWindowsを開発。そしてIBMと戦うMacのために創ったはずのエクセルをWindowsへ移植。これをキラーアプリにして、Windowsを全メーカーに供給し、オープン戦略で巨大陣営を組み上げ、一気にApple包囲網を築いてゆく。
実の父が捨てて逃げたAppleは、頂点から転落していこうとしていた。(明日に続く)
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[1] Jay Elliot, William No. Simon "The Steve Jobs Way" (2011), Vanguard Press, Chap.3, p.154
[2] Jeffrey S. Young "Steve Jobs: The Journey Is the Reward" (1987), Scott Foresman, chap.17 line 10282(kindle edition)
[3] Jeffrey S. Young "Steve Jobs: The Journey Is the Reward" (1987), Scott Foresman, chap.18
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