斎藤工がハマる“おじさんYouTuber”とは!?
漫画家・大橋裕之の幻の初期作集の実写映画化『ゾッキ』(2021年4月2日[金]全国公開。※3月20日より蒲郡市、3月26日より愛知県内で先行公開あり)で竹中直人と山田孝之と共に共同監督を務めた俳優/監督の斎藤工に、全3回にわたるロングインタビューを敢行。100年前のサイレント映画から素人のおじさんが配信するYouTube番組、そして映画の歴史から紐解く“今と未来”という壮大なテーマまで、超・濃密なインタビューの最終回をお贈りする。
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「残酷だけど笑えて、悲惨でリアル、身に覚えのある痛さ」
近年ダントツで好きだったのが、『隣の影』(2017年)というアイスランドの映画。隣接した夫婦二組の話なんですけど、庭に生えている大きな木の影が片方の家の敷地内に伸びて、「日光浴ができなくなるので切れないか?」と相手方に言うんですね。いわゆる“ご近所トラブル”ではあるんですけど、そこからの展開がちょっと、なんていうんですかね……夫同士は理解し合っていて穏便に済ませたいとも思っているものの、妻たちが最初は感情を出さないながら家の中で隣の悪口を言い合うようになる。それが徐々に白熱していって、それぞれの○○○にものすごく悲惨な展開が待っていて……。
この自粛期間中、ヨーロッパで隣人とワイングラスで乾杯しあっている映像なんかをニュースで見てたんですが、実は望まない隣人であって、向こうから見ても自分がそうである可能性があるっていう、隣人的恐怖みたいな。どこか運命を共有していかないといけない感じ、その場所ですよね。僕らも外に出られなくなって、今までそうじゃなかったのに隣人の存在が気になり始めた。そこにおける究極のシニカルな物語。とても地味な映画ですが、拭えない何かを“くらった”感じ。特にラストシーン、内容は言えないですけど、非常に余韻がずっとあって。
『バクラウ 地図から消された村』(2019年)という衝撃の南米映画もあったりするんですが、『隣の影』からずっと更新されていない。“これが映画だよ”って思わされました。残酷だけど笑えて、悲惨でリアル、身に覚えのある痛さがずっとある。
「自分の思う映画的カタルシスを、おじさんというフィルターを介して探している」
―思いもよらないものに出会った時に自分が更新される感覚があって、それが体感になった時、自分の中に残りますよね。
なぜ韓国映画はあんなに面白いのかと考えた時に、“おじさん”が描かれていると思ったんですよ。イケてるおじさんじゃなくて、本当のおじさんがそこにいる。ソン・ガンホやキム・ユンソクなど。そこらへんの食堂とか、自分の街にいるおじさんが描かれているんです。もちろん綺麗で麗しい男女の役者さんもいますけど、そこのアンリアルというか。映画を見終わった後の時間って、おじさんが過ごす世界線というか。そこが一致するんですよね、韓国映画って。食の描写もそう。
When Song Kang Ho fan Brad Pitt met Song Kang Ho... pic.twitter.com/rKmHEV6FK4
— NEON (@neonrated) January 3, 2020
日本のエンタメ全部を比較してダメ出しするのは良くないと思いつつも、なんかこう、きらびやかでアンリアルなものを見て、ファッション誌的なエンタメもあるとは思うんですが、見終わった後の日常にどれだけ結実していくか? というものを僕は見たいし、それが映画だとどこかで思っている。日本だとそういう企画書が通りづらいということもあると思うんですが。
やっぱりおじさんの絶対数は多いので、日本でいう西島秀俊さんみたいなカッコいいおじさんではなく、韓国には本当のおじさんを描くものが主としてある。日本はそこを避けてるんです。一方で年配の女性を描いた映画はあるし、女性誌もそういうものが多いと思う。ただ、おじさんでもイケてる方向じゃなくて、「一個人」とかを読んでるおじさん(笑)。そういうおじさんを描くコンテンツが少ない。
―それは(コンテンツを)おじさんが作ってるからですかね?
かもしれないです。僕、YouTubeも見るんですけど“推しオジ”がいて、“けんます”さんっていう、葛飾区でラーメン屋を経営している53歳のおじさんです。自粛期間前からYouTubeで配信されてるんですがラーメンや店の宣伝に関係なく、市販のものを使って美味しくできる究極の納豆とかを作ってて。めっちゃテンション高くて1人で自撮りされてるんですが、最初の方とかは動画を止める瞬間の真顔とかも映っちゃってて。今は娘さんが入ったみたいで上手になってるんですけどね。でも、そのメニューがマジで素晴らしくて。卵の黄身と味噌を練り合わせて、鰹節とゴマ、カラシ、そこに納豆とネギを入れて。おじさん向けに、おじさんが助かる実務的な保存食の作り方をやってるんですよ。そこに僕は、ものすごくカタルシスすら感じるというか。
―(笑)
自粛期間になってからの報告もあって、夢を持った若者がバイトで働いていたけど、彼らを解雇しなきゃいけない苦悩を語っていたりと、おじさんのドラマがすごくある。僕はそこにソン・ガンホ的なドラマを見ていて。これだ! って思うものがYouTubeにあった。誰のニーズもないところから始めてるんですよ。おじさんがおじさんに「できるかな」って言うところから始まってる(笑)。そこに、僕が韓国映画に感じていたものがあるんです。だから僕が今思う“映画的なもの”って、もはや映画だけのものじゃない。むしろそういう動画や、映画というカテゴリーじゃないところに映画的なものがあったりする。自分の思う映画的カタルシスを、おじさんというフィルターを介して色んな媒体で探している、というのが僕の状況です。
おじさんの絶対数は多いはずなのに、若くて綺麗な若者にあこがれるおじさんでなきゃいけないっていう、新しいバイアスもどこかで感じていて。時間をかけて発酵してきた、ある種柔軟でなくなってきた人の美しさって、(フレデリック・)ワイズマンや小津(安二郎)が切り取ってきたそのものなんじゃないかと、39歳の私の現在地、おじさんの一人として思っているところがあります。常に探しますね、おじさんぽさ。
「映画として保存された約130年以上の歴史、そこから紐解く“今と未来”が確実にある」
―定番の質問で恐縮ですが、斎藤さんご自身にとっての映画とは何でしょうか?
映画って意外と歴史が浅いんですよね、約130年くらい。音楽や踊りと比べると圧倒的に浅い。映像を介した、その時々の一つの表現方法だと思うんですけど。テレビジョンって、ギリシャ語で「遠くに届ける」っていう意味らしいんですよね。それは映像の持っている一つの持ち味だと、こんな今だからこそ余計に思っていて。映画、ドラマ、YouTubeって分けていくと様々な色味になっていくと思うんですけど、もっと言うと、時間すら超えたもの。
「移動映画館 cinema bird」というのをずっとやってきてるんですが、2020年に葛西臨海公園で医療従事者の方々に向けてドライブインシアターをやらせてもらった時に、(チャールズ・)チャップリンの初期短編集を上映したんですよ。なぜかと言うと、(その前に)小さい子供たちに試しに見せたんです。そうしたらチャップリンの初期作品をめちゃくちゃ笑いながら見るし、サイレントの部分に自分たちでアフレコしてたんです。それで、これは全部を説明するよりも映画との距離が近いなと思ったんですよね。その状況から、言葉を自分たちで足していく見方って、すごく豊かだなと。
(ドライブインシアターでは)子供たちの反応が最も良かった作品を上映したんですが、その時に医療従事者のお子さんたちも来ていて、みんなのめり込んで見ていた。この時代におけるサイレント映画の新しい価値が、実態としてここにあるという可能性。タイムマシン的なものとしての映画、すでにこれだけ素晴らしい作品がある。実は、スポンサー至上主義みたいに、毎クール必ず作らなきゃいけない理由って意外となくて。コロナもあって新作の現場が止まったことによって、今後ソフトが枯渇し始めると思うんですよ、特にハリウッド大作。だけど、約130年以上の歴史が映画として保存してあって、そこから紐解く“今と未来”ってものが確実にある。それを今、映画を上映する立場の人間としてめちゃくちゃ思っていて。
むしろ可能性って、今を捉える新作も重要だし、最前線であることには変わりないんですが、同時に過去から学ぶことや、ここは変わっていないと思うものを映画で確かめていける。自粛期間中は、そういうものを振り返るタイミングなのかなと。“映画イコール未来を作る”というか。そういう夢のあるカルチャーでもあるんですけど、振り返ることにも意味がある。振り返ることは過去を見出すことであり、過去にとっては今を描いていたとも思うんですよね。シェイクスピアの「To be, or not to be」というセリフはラップみたいに韻を踏んでるんだけど、和訳すると「生きるべきか、死ぬべきか」って固くなっちゃう。でも当時、シェイクスピアは流行の最前線にいた。それが今では“名作”という縁取りによって、なかなか気軽に日常の近くにない。実はシェイクスピアが思っていなかったような(形で)、桐箱に入れられちゃってるのかなって。
今だからこそ見るべき作品を見つけていくことを、チャップリンに熱狂している100年後の子供たちに教えてもらった。100年前を旅している感動のようなものもあったので、僕自身はそこの価値を見つめ直したいなと、今は思ってますね。
取材・文:稲田浩
撮影:大場潤也
斎藤工は、小津安二郎・ワイズマン・成瀬巳喜男で出来ている! 父から受けた映画の洗礼と特殊な関係とは【第2回】
『ゾッキ』は2021年4月2日(金)より全国公開(3月20日より蒲郡市、3月26日より愛知県内で先行公開あり)
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