イスラム教の預言者ムハンマドの誕生日にあたる昨年10月29日、フランス南部ニースの教会で男女3人が刺殺されるテロ事件が起きた。実行犯として拘束されたのは、アフリカ北部チュニジア出身のブラヒム・アウイサウイ容疑者(21)。事件の約40日前に船でイタリアに密航し、事件前夜にニースに着いた。なぜ海を渡ってまで犯行に及んだのか。その足跡を追った。(カイロ・蜘手美鶴)
◆家族や友人は「イスラム過激派ではなかった」と口そろえ
チュニジア中部スファクスの海岸。周りに塩田が広がり、強い海風が絶えず吹き付ける。「あそこから先が深くなっている。密航船がくる場所だ」。アウイサウイ容疑者の友人フーマーム・ジャッビさん(21)が指さした。容疑者は昨年9月中旬、ここからイタリアへ渡った。
容疑者が生まれ育ったのは、海岸近くの貧しい地区だ。「何も言わずに突然いなくなった。2日後に『イタリアにいる』と電話をかけてきた」。父ムハンマドさん(62)は困惑した様子で振り返る。
容疑者は10人きょうだいの9番目。友だちは少なく中学校を中退後は路上でガソリンを売っていた。イスラム教が禁じる酒も飲み、たばこも吸う「普通」の若者。家族や友人は「イスラム過激派などではなかった」と口をそろえる。
◆2ヵ月間の少年院で変化の兆し…毎日5回祈るように
一方で、わずかな変化の兆しもあった。母ガマルさん(61)は「いま思えば、1年半前から毎日祈るようになった」と話す。容疑者は2016年、ガソリン販売を巡って行政関係者を殴り、2ヵ月間少年院に入った。ガマルさんが面会に行くと、「自分を変えるために礼拝を始めた」と告げられた。一時期中断したが、近年は自宅で1日5回祈っていたという。
地元のスファクス大でイスラム過激派の研究をするサミハ・ハムディ教授によると、刑務所で若者がイスラム過激派に勧誘されるケースは多いという。「入所中に礼拝を始めた点から考えると、少年院で過激派と知り合った可能性は高い」とみる。
また、容疑者の密航には不自然な点もある。家族によると、密航業者にガソリンを提供する代わりに、無賃で乗船。互いに素性を知らない10人が同乗した。ハムディ氏は「30人は乗せないと密航業者は採算が取れない。10人は少なすぎるし、無賃というのもあり得ない」と指摘。「仕事目的の移民ではなく、10人がそれぞれ何らかの『指令』を受けて密航したのではないか」と推し量る。
◆「アラブの春」で社会一変 経済悪化や貧富の差に不満
チュニジアでは11年、民主化運動「アラブの春」で長期独裁政権が倒れ、世俗主義だった社会も一変した。イスラム主義組織が活発化し、モスクなどで過激思想を広め始めた。経済悪化や貧富の差に不満を抱く若者の心をつかみ、約3000人が過激派組織「イスラム国」(IS)に参加し、人口比では最も多い、送り出し国となった。
アウイサウイ容疑者のように欧州に渡り、テロを実行した若者もいる。16年にニースで起きた86人がトラックにはねられ死亡したテロ事件の実行犯は31歳のチュニジア人だった。
今もチュニジアの経済は悪く、若者の失業率は30%前後で推移する。不満はくすぶり続け、過激思想が広まる下地はある。イタリア内務省によると、昨年に船で渡った移民3万人超の3分の1がチュニジア人だった。
アウイサウイ容疑者の友人ジャッビさんは「声をかけてくれていたら、一緒に欧州に行っていた。ここに仕事はない」と話す。自らも過去に、いとこ(26)とフランスを目指してトルコからスロベニアまで密航したことがある。途中で諦めて戻ったが、いとこはパリ郊外にたどり着いた。
容疑者はテロを起こす数日前まで、イタリア・シチリア島のオリーブ農園で働き、他の移民たちと農園内の一軒家で生活。毎晩、家族に電話し、「いい未来を探すために、イタリアに来た。心配しないで」と話していたという。
今月4日朝、初めて拘束中の容疑者から家族に電話があった。「誰も殺していない」とだけ言い、切れたという。
ニース教会テロ事件 ニース市中心部のノートルダム教会で起き、教会職員の男性と礼拝に来ていた女性2人が犠牲になった。アウイサウイ容疑者は警官の銃撃で負傷した。容疑者のスマートフォンからはIS関係の写真や2週間前にパリ郊外で起きた教師殺害テロ事件の実行犯の音声データがみつかった。
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